創設者 山田幸儀理事長
昭和35年、創設者山田幸儀理事長が長崎県婦人児童課長に就任した間もない日、「障害をもつ母より」と書かれた手紙を手にしたことが、社会福祉法人「幸生会」が創立された原点でした。
その手紙には、重度の障害の子供を抱えた家族の並々ならぬ苦労が書かれてありました。
手紙を受けた山田理事長の、「この子らとその家族の力になりたい」との思いは、長崎県を退職してからもいっそう強くなり、諫早市をはじめ各方面の方々の支援を得て、こども達のための児童福祉施設の建設へと歩みはじめました。
昭和52年4月25日社会福祉法人「幸生会」が設立認可され、諫早市役所の協力のもとに最初に取り組んだ事業が昭和53年4月1日に開設した重症心身障害児施設「諫早療育センター」でありました。
当時、重症心身障害児対策は、やっと全国に入所施設が整備されだした時期で、まだまだ重症心身障害児・者の方々の療育の場は限られていました。
幸い、長崎県では、長崎大学医学部や諫早市医師会の協力を得て、医療体制を整備することができ、利用者の特性に配慮した療育の工夫に努めるとともに、施設の持つ療育資源を地域に開放することで、重症心身障害児・者の方々の在宅支援、地域福祉増進の役割を担うようになりました。
一方、創設者の山田理事長は対馬出身であり、高齢化社会が進展する中で対馬の住民の方々から「対馬に老人福祉施設を」との強い要望に応えるため、平成3年3月以降、豊玉町に老人デイサービスセンター「豊生園」と特別養護老人ホーム「わたづみ」、峰町に老人デイサービスセンター「峰幸園」、上対馬町の特別養護老人ホーム「ひとつばたご」を対馬市より譲渡を受けて運営を行っています。
対馬市においては、老人福祉施設の4施設の経営をはじめ、高齢者や障害者の方々へのホームヘルプサービスなど在宅福祉事業にも取り組んでいます。
また、平成11年4月には、島原市に定員50名の障害者支援施設「島原療護センター」を開設し、雲仙岳噴火災害からの復興をめざす島原地方の皆様とともに、この地域の障害者の方々の支援に取り組んでいます。
今後とも、社会福祉法人「幸生会」は、法人の基本理念並びに社会福祉法人制度改革の主旨に沿い、利用者一人ひとりの個性を大切にし、家族の気持ちに配慮しながら「安全で安心できる医療・看護・介護サービス」を提供し、地域の皆様に信頼される福祉事業を展開して参ります。